「たとえば、この雨を羊水に喩えると」 「―――何だって? 羊水?」 「そう、羊水。子宮の羊膜の内部を満たしてる液体」 「相変わらず変な事を言い出すんだな、お前は」 「ちょうど、ここに書いてある………分娩の第一段階、つまりまだ目を開けていない胎児が 子宮の収縮によって四方から締め付けられ、圧倒的な不安にさらされる状態にあり、“でぐ ちなし”の恐怖や地獄の体験などがこの状態に該当する」 見ると弟の手には本があった。 見覚えのある表紙だった。学術関係の本のようだ。 分類ラベルが貼ってあるから、図書室の蔵書なのだろう。 おそらく誰の手にも取られずに眠っていた類の本だ。 「子宮回帰とか子宮願望とか、子宮の中で胎児が母親と一体化している状態の平安について は、これまでも多く書かれてきたよね。その点、この本に書かれている言葉は、奇を衒ってい るようで真実めいている。胎児にとって突然の子宮収縮、平安状態の不意の終わりは、原初 の恐怖に相当するんだ」 「――なるほど」 「温かな羊水が流れ出る。息がつまる。目が見えない。手足も動かせない。まさに”出口無 し”の恐怖だ」 「なんとなくわかってきた。それが今の状況に近いって?」 「そうだよ」 「―――なるほどな。やっぱりお前は変わってる」 「胎児は夢を見るのに適した生き物だ。目覚めようとするから苦しむんだよ」 |